労働時間の数え方 — WORKING TIME
現場に入る前の時間は、労働時間か。
判例が引いた線と、いまの実務のズレ
工事が9時に始まる現場で、8時に作業員と合流して打合せをする。この1時間は、労働時間でしょうか。結論は、就業規則に「9時始業」と書いてあっても労働時間になり得ます。労働時間かどうかは契約の文言では決まらず、実態で決まるからです。
よくある相談 — Q & A
相談者
工事が9時からなのに、8時に現場で作業員と打合せをしています。これって残業になるんですか?
回答者
作業員との調整や安全確認が業務なら、労働時間です。就業規則に9時始業と書いてあっても、実態が優先します。
相談者
会社は「客先に入ってからが勤務時間」と言うんですけど。
回答者
現場に着いてからの打合せは、移動ではなく業務です。移動部分と業務部分を分けて整理すると、争点がはっきりします。
詳しい条件と計算は、この下の本文で確認できます。
01
結論:始業時刻の定めでは決まらない
労働基準法には「労働時間とは何か」という定義の条文がありません。判例と行政解釈が、「労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間」という基準を作ってきました。
最高裁は、この該当性について「労働契約、就業規則、労働協約等の定めいかんにより決定されるものではない」と明言しています。つまり、就業規則に「始業9時」と書いてあっても、それだけで8時台が労働時間でなくなるわけではありません。
では、何を見て「指揮命令下」と判断するのか。判例が実際に使っている要素は、次の4つです。
| 要素 | 見ていること | 8時の現場で言えば |
|---|---|---|
| 義務性 | 出ることを義務づけられていたか、断れる状態だったか | 「8時に集合」と指示されていたか |
| 業務性 | その行為が業務の遂行に必要不可欠か | 作業員への指示・安全確認・客先対応 |
| 場所的拘束 | その場から離れられない状態だったか | 現場で待つ以外に選択肢がなかったか |
| 指示の有無 | 誰が、いつ、その時間を決めたか | 元請け・上司の指示か、自分の都合か |
4つすべてが揃う必要はありません。判例は諸要素を総合して判断しています。逆に言えば、1つでも欠ければ必ず否定される、というものでもありません。
02
判例が引いた線。労働時間とされたもの・否定されたもの
始業前後の時間について、裁判所がどこで線を引いてきたかを並べます。同じ「始業前」でも、結論が分かれていることが分かります。
| 事案 | 結論 |
|---|---|
| 造船所で作業服・保護具の装着を義務づけ、更衣室での着替えを指定(三菱重工事件・最判平12.3.9) | 労働時間。装着、更衣所からの移動、資材の受出しまで |
| 同じ事案で、入退場門から更衣所までの移動、休憩中の着脱 | 否定。まだ指揮命令下にない |
| 始業前の点呼と退社前の点呼(東京急行電鉄事件・東京地判平14.2.28) | 労働時間 |
| 同じ事案で、頻度・義務性の弱い業務引継ぎ | 否定 |
| 作業着への着替え、機械点検、整理整頓、義務的な朝礼・体操(厚労省あっせん事例) | 労働時間の可能性が高いとして解決 |
| 制服の着用が義務で、朝礼前に着替えを済ませる運用(東京高判令和3.3.24) | 労働時間。着替えと朝礼以降 |
| 早朝の掃除・着替え・朝礼・ラジオ体操(東京高判平成25.11.21) | 否定。参加が任意で、義務づけの立証がなかった |
| 不活動の仮眠時間(大星ビル管理事件・最判平14.2.28) | 労働時間。解放が保障されていなければ |
この表から読み取れる線は、「義務づけられていたか」「その行為が業務に必要な一部か」の2点です。逆に、任意であり、業務と切り離せる行為は否定されています。
否定された東京高判平成25年11月21日の事案は、「義務づけられていたことの立証が足りなかった」という理由で否定されています。つまり、実態として義務があったのに、それを示す記録がなかったために負けた事案です。ここは重要です。労働時間かどうかは、実態だけでなく、実態を証明できるかで決まります。
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03
8時の合流は、移動・待機・打合せに分けて考える
現場の1時間を、ひとまとめに「移動」として扱うと判断を誤ります。実際には性質の違う3つの時間が混ざっています。
| 時間の性質 | 労働時間か | 理由 |
|---|---|---|
| 自宅から現場までの移動 | 原則として否定 | 通勤と同じ扱い。業務性も拘束性も弱い |
| 会社の指示による資材運搬・別現場の経由 | 肯定の余地 | 移動そのものが業務。荷物の管理が要請される |
| 現場での待機(他業者の到着待ちなど) | 拘束されていれば肯定 | 現場から離れられず、呼ばれれば即応する状態 |
| 作業員との合流・打合せ・安全確認・客先対応 | 肯定 | 移動ではなく業務そのもの。ここが本題 |
ご相談のケースで違和感が残るのは、この4行目を「移動」や「準備」として処理しているからです。作業員との合流、その日の段取りの共有、危険箇所の確認、元請けとの連絡。どれも現場を動かすために不可欠な行為で、移動ではありません。
移動時間の裁判例も、移動一般を否定しているわけではありません。納品物の運搬を目的とする移動を労働時間と認めた例(東京地判平成24年7月27日)がある一方、公共交通機関による移動は、物品の管理が要請されるなどの特段の事情がなければ否定されています(大阪地判平成22年10月14日)。線は「業務性の強さ」と「その間の自由度」です。
つまり、自宅から現場までを「通勤だから労働時間ではない」と処理すること自体は、判例に反しません。問題は、現場に着いてから始業までの時間まで、同じ理由で切っている点です。ここは業務性が明確に変わります。
04
「客先に入ってからが勤務時間」が崩れる4つの理由
会社側がよく使う説明と、それに対する整理を並べます。ここが実務の分かれ目です。
| 会社の言い分 | こちらの整理 |
|---|---|
| 「9時始業なので、8時は所定外の自主的な行動」 | 労働時間かどうかは就業規則で決まりません。指示があり、業務に必要だったなら労働時間です |
| 「現場までの移動は労働時間ではない」 | 移動部分はその通りです。ただし、現場到着後の打合せ・待機は移動ではありません |
| 「残業申請がないので認められない」 | 申請は管理の手段であって、労働時間の認定を左右しません。実際に働いた事実が優先します |
| 「判例でも移動は労働時間ではないとされている」 | 判例が否定したのは、業務性と拘束性が弱い移動です。業務そのものは別に評価されます |
3つ目の「申請がない」は、実務で最もよく使われる説明です。しかし、労働時間は客観的に定まるというのが判例の立場です。申請制を置くこと自体は自由ですが、申請しなかったことや、承認されなかったことを理由に、実際の労働時間が消えるわけではありません。
似た運用に「何時までは対応してはならない」という規程があります。情報セキュリティや働き方改革の観点で置かれるものですが、これも労働時間性を消す効力はありません。禁止されている時間に対応したなら、それは労働時間であり、割増賃金の対象です。規程は禁止を定められますが、事実をなかったことにはできません。
05
判例と、いまの実務のズレ
移動時間や始業前の時間をめぐる判例の多くは、固定電話と紙の時代の事実を前提にしています。いまの働き方とは前提が違う部分があります。
| 項目 | 判例が前提にした状況 | いまの実務 |
|---|---|---|
| 移動中の連絡 | 連絡が取れない。移動は「何もできない時間」 | スマホ・チャットで即応。移動中も業務が動く |
| 現場への入り方 | いったん事務所に出て、そこから現場へ | 直行直帰が標準。事務所を経由しない |
| 打合せ | 始業後に対面で | 前夜のチャット、朝のオンライン確認 |
| 記録 | 現場のタイムカード | GPS、クラウド勤怠、入退場記録 |
ここで正確にしておきたいのは、判断の枠組み自体は変わっていないという点です。最高裁が示した「指揮命令下にあるか」という基準は、在宅でも現場でも同じように使えます。変わるのは、その基準に当てはめる事実の現れ方です。
たとえば、移動中に常時チャットへ応答していたなら、その時間の自由度は下がります。これは「移動は労働時間ではない」という過去の結論を覆すのではなく、「この移動は自由ではなかった」という事実を積み上げる話です。判例を否定するのではなく、事実が違うと主張する形になります。
ただし正直に言えば、在宅勤務や直行直帰の労働時間性を正面から扱った最高裁判例は、まだ十分に蓄積されていません。下級審の判断も事案ごとに分かれています。新しい働き方について確立した線がまだない、というのが現状です。
06
8時から勤務としてほしいときの、申請の書き方
「8時から勤務にしてください」とだけ言うと、会社は「9時始業です」で終わらせられます。通る申請は、事実と必要性を書いたものです。
週3回、A現場で8時00分に作業員と合流し、以下の業務を行っています。
・元請け担当者との当日の段取り確認(8:00〜8:15)
・作業員への指示出し、危険箇所の共有(8:15〜8:40)
・資材の搬入位置の指示、近隣への挨拶(8:40〜9:00)
9時始業の定めでは、この時間は勤務扱いになっていません。しかし、作業は9時から動き出しており、この調整がないと現場が止まります。8時00分から9時00分を勤務時間として扱っていただきたい。
書き方のコツは3つです。
- 時刻と業務を分けて書く「8時から準備」ではなく、8:00〜8:15に何をしたか。業務ごとに時刻を切ると、労働時間性が判断しやすくなります。
- 「自分で決めた」と思われないようにする誰の指示で、いつ決まったか(元請けの朝礼案内、上司のメール、前日のシフト連絡)を添えます。
- 代替案を一緒に出す「8時始業に変更する」「8時から割増を払う」「打合せを9時に移す」。3つを並べると、会社は選びやすくなります。
ここで区別しておきたいのが、「労働時間かどうか」と「何時始業にするか」は別の話だという点です。
| 論点 | 決め方 | 効果 |
|---|---|---|
| 8時台は労働時間か | 実態で決まる(判例) | 労働時間なら割増賃金の対象 |
| 始業時刻を8時にするか | 契約変更。労使の合意が要る | 8時以降が所定内になり、割増の起算が変わる |
会社が「8時始業に変更する」を選んだ場合、8時台は所定内になります。労働時間ではありますが、割増は付きません。逆に「9時始業のまま」なら、8時台は所定外となり、割増の対象です。どちらを選ぶかで、毎月の金額が変わります。
07
実務が伴っているなら、争う価値はある(個人の見解)
ここからは、運営者個人の見解です。法的な判断でも、特定の事案への助言でもありません。
まず、前提をひとつ正確にしておきます。日本は判例主義の国ではありません。成文法が中心で、判例に法源性はありません。ただし、最高裁判例は事実上の基準として機能し、下級審もそれに従います。だから「時代に合っていない判例を覆す」には、最高裁まで届く事案を積み上げる必要があります。道のりが長いのは、そのとおりです。
その上で。現場の実務が判例の前提から離れているのに、古い整理のまま不払いが続いている事案は、争う価値があると考えています。理由は3つです。
- 事実が違えば、結論も変わる判例は移動一般を否定していません。常時接続・直行直帰という新しい事実は、別の評価につながります。
- 記録が揃えば、勝敗は事実認定で決まる否定された事案の多くは、義務づけの立証が足りずに負けています。逆に言えば、記録で補える余地があります。
- 1件の判断が、次の1件の材料になる同種の事案が積み上がれば、実務の基準が動きます。
ただし、提訴には現実的な負担があります。労働審判で3〜6か月、訴訟に移れば1年以上。弁護士費用は回収額の2割前後が目安。在職中の提訴は、職場での扱いに影響します。「まず労働審判から」が現実的な順番で、本人が直接法廷に立つというより、代理人を通すのが通常です。
提訴を勧めたいのは、次の3つが揃っている場合です。指示の記録がある。業務内容が具体的に説明できる。金額が費用に見合う。この3つが揃わないまま動くと、時間だけが過ぎます。
出典
- 三菱重工業事件・最高裁第一小法廷 平成12年3月9日判決(民集54巻3号801頁)
- 大星ビル管理事件・最高裁第一小法廷 平成14年2月28日判決
- 東京急行電鉄事件・東京地方裁判所 平成14年2月28日判決(労判824号5頁)
- 東京高等裁判所 平成25年11月21日判決/令和3年3月24日判決
- 東京地方裁判所 平成24年7月27日判決/大阪地方裁判所 平成22年10月14日判決
- 厚生労働省「所定労働時間外における労働者の諸活動の労働時間該当性」
- 労働基準法 第32条(労働時間)、第37条(割増賃金)
よくある反論 — 会社の言い分と、こちらの整理
| 会社が言いがちなこと | こちらの整理 |
|---|---|
| 9時始業なので、8時は自主的な行動 | 労働時間かどうかは就業規則では決まりません。指示があり業務に必要だったなら、8時台も労働時間です。 |
| 移動時間は労働時間ではないと判例で決まっている | 判例が否定したのは業務性と拘束性の弱い移動です。現場到着後の打合せや待機は、移動とは別に評価されます。 |
| 残業申請がないので支払えない | 申請は管理の手段で、労働時間の認定を左右しません。実際に働いた事実が優先します。 |
未払い残業代が請求できるか、確認する。
月給・残業時間・入社と退職の年月を入れるだけで、請求できる範囲の月数と金額を計算します。登録は不要で、入力内容はブラウザの外に出ません。
- 時効で消える前の金額が分かる
- 固定残業代を引いた不足額が出る
- 管理監督者に当たるかも5問で確認